ネットワークすることの意義
池側隆之
名古屋大学大学院国際言語文化研究科 准教授
クリエイティブ・デザインシティなごや2009実行委員として、今回はワークショップと国際デザインフォーラムでのパネル・ディスカッションを中心に関わらせていただいた。ここでは国際デザインフォーラム全体を振り返って、改めてユネスコ・クリエイティブ・シティズ・ネットワークの一員としての名古屋の位置づけを確認していきたい。
国際デザインフォーラムでのパネル・ディスカッションでは、クリエイティブ・デザインシティの6都市から興味深い実践報告があった。それぞれの取り組みを概説すると次のようになる。まず、ブエノスアイレスと深圳ではデザインを経済発展の起爆剤と捉え、様々な産業振興策が講じられている。また、神戸やモントリオールでは、歴史的な文脈を大切にしながら、環境から育まれるデザインへの意識が重視されている印象を受けた。ベルリンでは、枠組みを変えることで常に流動的なデザインへの可能性を模索する状況が、様々な実験的な場の創出を例に報告された。当地名古屋においては、ものづくりの伝統が継承された産業と若い力によって育まれ地域へ注がれる創造的な眼差しの融合が、デザインというものの位置づけではないだろうか。ユネスコ登録以前から、教育・文化・産業といった分野では個と個を繋ぐサブ・ネットワークがこの地には存在し、常に時代を牽引する役割を担ってきたと言えよう。同じネットワーク・シティズを概観してみても、このように明らかにデザインをめぐる現状には違いがある。そんな中、今回のフォーラムでは「ネットワーク」そのものの意義が改めて議論になったように思われる。ユネスコ・クリエイティブ・シティズ・ネットワークへの加入によって、名古屋は世界の共通言語で語られることになったと言える。もちろんそれは「デザイン」という共通言語である。同じ言葉で語られることによって、比較が可能となる。名古屋でのパネル・ディスカッションのモデレータを仰せつかった関係で、幸運にも神戸でのフォーラムにも参加させていただいた。そこでは聴衆の方からネットワークが均一化を生むのではないかとの批判もあった。しかし比較によって差異が明確になるのだ。つまり地域の固有性は域外との相対的な関係の中で確認されるものなのである。
クリエイティブ・デザインシティなごや2009の全体テーマは「サスティナビリティ」である。持続可能な未来を構築するための手段として、デザインの果たすべき役割は極めて大きい。人と環境に配慮した活動はサスティナブル・デザインとして意識されなければならないだろうし、あるいは全人類に適応できるより包括的な取り組みとしてインクルーシブ・デザインの概念は共有されねばならない。この場合、「サスティナブル」や「インクルーシブ」といった言葉は、デザインの領域を指し示すものではなく、思想あるいは哲学といって良い。モノやコトのカタチを対象とした専門的技術としてのデザインではなく、カタチを有さないデザインへの思いは市民が互いに共有し議論できるものになり得るのである。つまりプロフェッショナル・スキルとしてのデザインではなく、ライフ・スキルとしてのデザインこそが今後のデザインシティの礎を築き上げるものとなる。確かに今回のワークショップでもデザイナーの卵たちがプロの仕事を目の当たりにしながら個々の作業に取り組んだわけだが、「未来に向けてわたしたちができること」として名古屋市内各所で行われたシーズ(種子)の発見は、まぎれもなく市民の視点に因るものであったはずだ。正確に言えば、市民と共有したいと願う思いであったはずだ。デザイナーの卵たちが、まず自らに備わっているはずのライフ・スキルとしてのデザイン力に改めて気づくことができたことは大きな収穫であったに違いない。
デザインやアートに関わったことのある人間であれば、「作家」とはものづくりに関わる人を意味する言葉だと即座に理解できるが、一般的にはやはり小説家などの「もの書き」を指すという認識が強い。ところが北陸・金沢の地では、一般の人に対して「作家です」と自己紹介をすると、必ずと言っていいほど、「何を作っているんですか?」と即時に質問が投げ返される。もちろんこれは脈々と続く工芸都市・金沢としての潜在力を物語る例であるが、もう少し丁寧に観察してみると工芸の制作プロセスが重要な意味を持っていることが分かってくる。つまり、高度な職人技術は徹底した分業によって支えられており、工芸産業に関わりのない人でさえ、その編み目のように張り巡らせられたネットワークの渦中に自身の存在を否応にでも見出さざるを得ない。創造性に対する価値観が今以上に共有されていたかつての日本では、市民にとって工芸(現代で言うところのデザイン)とは完成されたカタチでなく、むしろプロセスそのものであったのかもしれない。ユネスコ・クリエイティブ・シティズ・ネットワークに登録された日本の都市にはそれぞれ「創造性」の代名詞となる言葉がある。金沢(工芸分野)は「用の美」であり、神戸は「お洒落(ファッション)」、そして名古屋は「ものづくり」である。このように言語的にみても差異は明らかに存在し、それらはすでに人々に共有されている。その共有性(差異を差異として知覚できること)こそデザインという言葉に他ならない。ネットワークすることによって他との違いが鮮明になり、その違いによって地域固有の情報の質が認識される。そして高められた質がネットワーク上を活発に行き来し、私たちは創造的なプロセスを常に肌で感じながら生活することになる。名古屋のものづくりの伝統と地域に根ざした若い世代の意欲的な取り組みが国際デザインセンターで交差し、対置されたプロフェッショナル・スキルとしてのデザインとライフ・スキルとしてのデザインの涵養の場が、名古屋には存在する。ネットワーク・シティズにおける名古屋固有のアイデンティティはまさにそこにある。