概要
ヒストリー「メディア=コンシャス」
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1989
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デザイン都市宣言、世界デザイン会議(ICSID)、世界デザイン博覧会
1989年、名古屋市は、デザインを核として世界に誇り得るまちづくりを推進し、創造性あふれる都市への発展をめざすため「デザイン都市」宣言を行いました。同年には「世界デザイン会議ICSID’89名古屋」や、市制100周年事業として大規模な「世界デザイン博覧会」を開催し、デザイン都市としての大きな一歩を歩み出しました。
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1989|1997
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名古屋国際ビエンナーレ(ARTEC)
世界デザイン博覧会を契機に1989年から5回にわたって名古屋市美術館、名古屋市科学館などで開催されました。日本においてメディア・アートが盛り上がりを見せたその時期に、名古屋、中京地域にこれを根づかせ、多くの優れたアーティストを輩出しました。
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1999|2003
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artport
当時、名古屋港ガーデンふ頭東部の倉庫群は、世界デザイン博覧会以降大きく様変わりした西部に比べ、港らしさを色濃く残す反面、普段は保税地区として立ち入りのできない一角でした。
その中の20号倉庫が、1999年、アート空間として実験的に開放されました。この「artport」では、メディア・アートの展覧会《MEDIASELECT》、子どもたちの遊び場として開放した《遊びの倉庫[アジト]》、倉庫の実験活用プログラム《given[ギヴン]》、市民の主催によるイベントが多数開催され、5年間にわたり多くの人出でにぎわいました。 -
1999|2009
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MEDIASELECT
ARTECを引き継ぐ形で実施された「artport」 において、1999年に「メディアセレクト」が結成され、同グループが主催した展覧会「MEDIASELECT ’99」がアートポートのこけら落としでした。同展覧会シリーズは、その後10年にわたり、メディア・アーティストの発表の場を提供したと同時に若手作家や研究者の育成に寄与しました。
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2002
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電子芸術国際会議(ISEA)
アジアで初めて開催された電子芸術国際会議2002名古屋(ISEA2002NAGOYA)では国際色豊かなイベントが繰り広げられました。およそ200年前の1821年(文政4年)に編纂され、寺子屋などで用いられたこの地域の小冊子『名古屋往来』の歴史を踏まえ、元来人や物の行き来を意味し、近年では通り、交通、交際、コミュニケーションなどを意味する「往来」をテーマに、30カ国以上から1500人以上の参加者が集い、電子芸術とメディア・アートをめぐるさまざまな議論の往来[行き来]の場、隣接する諸科学・諸分野と刺激しあい、協同する往来[通り]の場、西洋とアジアとが出会い互いの文化的多様性を認識する往来[交際]の場、都市空間におけるリアルとサイバースペースとの往来[交通]の実験の場、アート関係者と市民が交流し、理解を深める往来[コミュニケーション]の場となりました。
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2003
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世界グラフィックデザイン会議・名古屋「Visualogue」
2003年10月、Icograda(国際グラフィックデザイン団体協議会、現国際デザイン協議会 ico-D)の第20回総会に併せ、世界グラフィックデザイン会議・名古屋が開催されました。日本のデザイン史上において、1960年の「世界デザイン会議」以来の規模で実施された、この会議は「情報の美」をテーマに、世界49カ国から3,800人が参加しました。
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2008
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ユネスコ創造都市への加盟
名古屋市は、1989年(平成元年)の「デザイン都市宣言」以降、地元の産業界、デザイン団体、教育機関との協働により、世界3大デザイン会議・デザイン博覧会の開催や国際デザインセンターの設立、市民・企業のデザイン意識の普及啓発、若手デザイナーの育成など、デザインを核とした市政運営に取り組んできました。ユネスコ創造都市ネットワークへの加盟では、名古屋商工会議所および国際デザインセンターとともに準備を進め、2007年(平成19年)3月にユネスコにデザイン分野での加盟を申請し、審査の結果、2008年(平成20年)10月に加盟認定を受けました。
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2021
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ストリーミング・ヘリテージ|台地と海のあいだ